2007年 01月 08日

悪い奴

あけましておめでとうございます。

さっそくなんですが、きょうはとっても悪いやつのことを書かないといけません。
きょうとんでもなく悪いやつに遭遇したんです。

・・・ウチの前には電車が通っていて、玄関のそばに踏み切りがあります。
おれは踏み切りの反対側にあるコンビニにいくために踏み切りの方向へ歩いていました。
電車がやってくるらしく踏み切りは閉まっていて、カーンカーンカーンと鳴ってます。

その時です。踏み切りの向かい側で電車がやってくるのを待っていた学生風の若い奴がおもむろに手持ちのペットボトルを取り出して飲もうとした時でした。運悪くペットボトルが若い奴の手から滑り落ちてコロコロと踏み切りの中に入っていってしまいました。驚いた若い奴は即座にペットボトルを取ろうとします。けれど、若い奴の意に反してペットボトルは早く転がり、線路のレールの狭い隙間に挟まってしまいました。「あ~面倒なことになっちゃったな」と思ってみていると、若い奴はペットボトルが隙間に挟まるやいなや自転車に飛び乗って、風のように走り去っていったのです!

えーーーっ!!!

です。信じられないです。悪い奴です。幸い、ペットボトルが挟まった線路に電車はやってこなかったので大事には至らなかったわけですが、もし、「もし」その線路に電車が来ていたらもしかしていたかもしれないわけです。だって、どっかの悪い奴が線路の上に石を置いていて電車が脱線なんてことは実際起きてるわけだし。まーペットボトルだから石より危険性は低くなるのかもしれないですけど、「逃げる」はありえないでしょ。ひき逃げならぬ「はさみ逃げ」ですよ。悪い奴です、ほんとに。

ペットボトルは俺が拾ってゴミ箱に捨てました。けど、俺の中に残ったあの若い奴の自転車に飛び乗って走り去る姿は、しばらく驚きと一緒に頭に残り続けました。奴は、走って逃げながらどんなことを思ってたんだろう、もし電車が脱線したりでもして後からそれを知ったら何と思うんだろう、なんてことを思いました。当人は周りの人間以上に驚いて冷静さを失ったのかもしれないけど、逃げちゃ駄目だろって思いました。
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# by yoichikmr | 2007-01-08 21:08 | 日記
2006年 12月 26日

memo: Economic Development

Development Economics and Economic Development -A Selective List of Resources and Websites

Development Economics -Wikipedia

開発経済学 -Wikipedia.jp

経済発展段階説 -Wikilpedia.jp

ウォルト・ロストウ -Wikipedia.jp

Rostovian Take-Off Model -Wikipedia
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# by yoichikmr | 2006-12-26 15:28 | ECONOMICS_経済学
2006年 12月 22日

ひげ

谷村新司のベストアルバムを借りた。

なぜか?

そこに理由はない。なんかむしょうに聞きたくなった。

ザ・ベスト
谷村新司 / / ポリスター
スコア選択:


めちゃくちゃいい。この人、歌上手すぎ。特に、
「いい日旅立ち」
「三都物語」
「サライ」
「階 -きざはし-」
「昴 -すばる-」
の有名曲はまちがいない。

Wikipediaで知ったことなんだけど、この人エロビデオ2000本以上持ってるらしい。
そっち系のネタがマジで面白いので一読あれ。
谷村新司 -Wikipedia-
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# by yoichikmr | 2006-12-22 20:12 | 音楽映画スポーツお笑い
2006年 12月 12日

応用経済学の方法についての私論

私きむらの研究関心は、経済学の分野の中でも応用経済学という分野に属する。他の多くの科学と同様に、経済学にも基礎研究と応用研究とがある。基礎研究とは、学問上の方法論的改善を期するものであったり、概念的深化あるいはパラダイムの根本的転換を図るものだったりする。経済学において、こういう学問は今現在、ゲーム理論であり、行動経済学であり、あるいは神経経済学である。これらは、既存の経済学の考え方そのものに対して疑問を投げかけつつ、新たな考え方を提示しているか、しようとしている点において野心的であり、経済学そのものの発展に対して貢献をしてくれるだろうと期待される。一方の応用経済学というものは、現在の学問的枠組みの中で、現実社会において解決が求められている問題に対して回答を与えることを目的とする。解決が求められる問題というのは多岐に渡り、ここで列挙するには能力的に限界がある。例を挙げれば、経済発展と所得格差とはどういう関係にあるのかという問題や、世界中を豊かにする貿易関税制度とはどのようなものだろうかというような問題がある。そのような広大な学問分野の中で、きむらは応用分野に関心を持っている。

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# by yoichikmr | 2006-12-12 01:57 | 記事
2006年 12月 09日

shushi ronbun

無事、報告会を終えました。一時は論文を完成させられないのではないかという不安と共に留年の危機があったりもしましたが、大きな山を越えることができました。あとは、論文を修正して来年1月に提出するだけです。

学者というのは論文を書くのが仕事なわけですが、この一年で、その仕事がどういうものなのかということをわたくしなりに勉強させてもらいました。またの機会にそういうこともここで記事として書いてみようかなと思っています。

それから、わたくしの修士論文がどんなものかということも、この場で説明したいと思います。
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# by yoichikmr | 2006-12-09 13:23 | 日記
2006年 12月 06日

東京

行って来ました。滞在時間、ちょうど一日。
5日は実家でのんびり過ごし、6日の今日は、昼に慶應で成績証明の依頼をして、KりたとGろくと会ってお互い元気にやってることを確認して、両国でY奨学金の面接を受け、新幹線で帰阪しました。

面接のデキはあまりよくないと言わざるを得ず、若干心残りのまま来週の結果を待つことになりました。デキの悪さってのは、自分の留学先での研究テーマを先行研究の土台の上に置いているのかという点に起因していて、おれ自身、先行研究と自分の研究との関係を明確にして行かなかったという点が問題だったくさいです。

いろいろ反省はありますが、疲れたので今日のところは寝ます。
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# by yoichikmr | 2006-12-06 23:30 | 日記
2006年 12月 05日

kansei

修士論文の先生方への報告稿をひとまず完成させた。
書体をRomanからTimesにしたらずいぶんと見やすくなった。
正直、イントロとか関連研究の言及をもう少し納得する形にしたい。
大阪に戻ってからやるか。
明日はスライドの修正と面接準備しないと。

Columbia と Penn のドキュメントは昼ごろ、地元の郵便局にEMS(国際スピード郵便)で依頼。これって郵送完了までどこにいるか追跡できるらしいので、HPで調べてみたら、夜中1時頃(ちょいさっき)に国際交換局というところから発送されたらしい。今週中には大学に着きそう。

どうでもいいことですが、関西の慶應こと、関西学院大学。英語で書くと、Kwansei Gakuinらしい。ノットKanseiです。
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# by yoichikmr | 2006-12-05 04:00 | 日記
2006年 12月 04日

[今週の予定]

12/4月
朝一で Columbia と U Pennsylvania に Supplemental Documents を郵送する。修士論文の中間報告稿を完成させて、修士論文審査の先生方に送る。

12/5火
発表スライドの最終バージョンを完成させる。午後から新幹線で東京へ向かう。親に近況報告をして、必要な書類をもらう。

12/6水
午後、Y奨学金の面接に行く。その足で帰阪。

12/7木
修士論文報告リハーサル

12/8金
修士論文報告会。その後、打ち上げる。

12/9土
羽を休める。

12/10日
翌週中に留学出願をすべて終わらせられるように、最終準備+調整を始める。
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# by yoichikmr | 2006-12-04 00:35
2006年 12月 03日

懲りずに

またブログを作ってしまった。

今日、帰宅したらekeio.jpというところからメールがあった。慶應卒業生のためのソーシャルネットワーキングサイトらしい。

そこで、またブログを作ってしまった。

実は、これで俺のブログは4つ目。ひとつはこのエキサイト。もうひとつは2006年夏ごろから始めた留学準備ブログ。これは誰にも教えてない極秘ブログ^^。しりたい?しりたい?それから、夏明けに作った研究ブログ。こっちはもっと極秘ブログ+需要があるとは決して思えないブログ。ただし、現在休業中。

正直、分散させすぎて、各々にかける時間も自ずと分散されてる。だから、このブログもなかなか更新されないという説あり。(←いや、研究が忙しいから!)

慶應生でそのサイトに登録したという人は教えてね。いまんとこ、友達ゼロだから。

http://www.ekeio.jp/
http://blog.ekeio.jp/yk
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# by yoichikmr | 2006-12-03 20:11 | 日記
2006年 11月 26日

たこやき

最近、週末なんかに家にいるとき、小腹が減ると外にたこ焼きを買いに行く癖ができた。俺が住んでいるのは大阪北部の小さな町なんだけど、たこ焼き屋ってのは意外にも結構いっぱいある。駅前のあそこと俺んちの前のあそこと陸橋沿いのあそこと…てな具合で。当然というべきか、まだそのすべてを制覇していない。あまりに店が多いから、全部制覇する前にお気に入りの店ができてしまう。お気に入り同士を食べ比べするのもおもしろい。さすが大阪と思うのは、たこ焼きの敷居が低いこと。ある店では、平日の昼間にはたこ焼き8個入りを150円なんかで売っていたりする。安いよ、150円は。あんまり安いモンだから、近所の中学生・高校生なんかが帰り道にたこ焼きをここで買ってパクついている光景をよく目にする。もちろん、仲良く俺もそこでたこ焼き買ったりするわけだけど。大阪大学のキャンパス内では、暖かい時期に大学生が青空たこ焼きパーティをよくやってる。そして、それを俺はうらめし気に横目で見ている。

たこ焼きのこと考えてたら、たこ焼き食べたくなってきた。今日の夕食はたこ焼きにしようかな。とりあえず、たこ焼き買いにいこっと。
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# by yoichikmr | 2006-11-26 19:38 | 日記
2006年 11月 21日

いわばシナジー

お茶ほど相手を選ぶものも少ない。「お~い、お茶」と一緒に「どら焼き」を食べてみた。あんことカステラの甘さの上に、「お~い、お茶」が乗っかってくるとき、「お~い、お茶」はいつもは見せない渋さを発揮した。お茶の渋い香りが通り過ぎると、それを追いかけるように小豆本来の香ばしさがやってきた。お茶とどら焼きは、お互いを引き立てあっていた。お茶とどら焼きのドラマチックな共演に、そいつらのポテンシャルの高さを舐めていた自分を恥じた。一人ずつかかってきたらどうってこと無いはずのお茶とどら焼きが一緒になって攻め込んできたときのこいつらの威勢のよさに、不覚にも、「食」の奥深さを感じ入ってしまった。

どうでもいいことなんだが、「補完性」の良い例だから記録しておく。

(笑)
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# by yoichikmr | 2006-11-21 00:45 | 記事
2006年 11月 16日

知識の階層性

京大の藤田先生の「知識の階層性」という視点が面白い。
『日本の産業クラスター』
最下層に「言語、伝統、歴史、文化」が来て、「価値観、思想」と続き、「professsional knowledge」、「know-how」と続く。上層部に行くほど、個人や社会への残存性というか固定性とでもいうようなものが弱くなっていく。
つまり、上層部の知識ほど他人や他の社会に伝播していきやすいということだ。

うむ、おもしろい。
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# by yoichikmr | 2006-11-16 16:39 | ECONOMICS_経済学
2006年 10月 31日

master's thesis

計画としては、今週いっぱいで、とりあえず1st Draftを書き上げる。Introductionをどう書くかがポイントだけど、はじめからいいものなんて書けないだろうから、とりあえず一回書いてみる。と同時に、Bodyの議論も今のより若干リッチな感じにする。

以上、簡単に自分向けのコメント。

_________
このブログの更新がずいぶんと滞っていたけど、この1,2ヶ月は論文作成で正に七転八倒していました。今、若干見通しが立って、楽になったけど、出願準備とかもあるし論文を書き上げないといけないのでまだまだ気が抜けません。今年もあと2ヶ月ですが、文字通り「師走」の年末になりそうです。
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# by yoichikmr | 2006-10-31 23:40 | ECONOMICS_経済学
2006年 09月 22日

数学者にありがちな論理の誤謬

国家の品格
藤原 正彦 / 新潮社
スコア選択: ★★☆☆☆




この本は、2006年の上半期で最も売れた新書ランキングで上位に入る本だ。書店を覗けば、この本が山積みになっているのに遭遇することも多かっただろうと思う。

さて、この本の持つ意味は、良くも悪くも、帯にある文句「すべての日本人に誇りと自信を与える画期的日本論!」に凝縮されると思う。まず、「誇りと自信を与える」ということはおそらくそうだろうとは思う。なぜなら、藤原は欧米型価値に待ったをかけながら、日本古来のものを再評価しているからである。この本がよく売れるのは、一にも二にもこの点によるんだろう。ただし、それとは別に、彼のロジックは甚だ乱暴であり、狭量だと言わざるを得ないのが残念だ。

論理が生命線の数学者の著者が、論理展開をいい加減にするなんてことがあるだろうか。実際、それはない。あるのは、公理を取捨選択できない数学者の価値判断力の無さではないだろうか。数学者というのは「これだけは疑わない」とみんなで約束する公理系から出発して、ロジックを丁寧に経ることによって自分の主張を作り出すわけだけど、そもそも自分が出発した公理系を見返して疑うことはできないのだろうか。藤原の議論を見ると、それはできなそうだ。

彼は日本文化礼賛を繰り返すが、対立テーゼたる欧米文化について、確固たる評価をしていない。わかりやすく言えば、「日本文化は素晴らしいんだ。世界中で類を見ない優れものなんだ。だから、欧米文化より素晴らしいんだ」となる。こんな論理が説得力を持たないことは小学生でもわかる。

日本文化礼賛をするのはよいが、例えば欧米文化を対立軸に挙げるなら、欧米文化がいったいどういうものであるかということを正確に調べたうえで二つを比べないと駄目ではないだろうか。彼は、はじめから欧米文化は取るに足らないというスタンスで議論をスタートしている。それなら日本文化が良く映るのは当然だ。読者が真に知りたいのは、日本文化と欧米文化の何が違っているのかという点だ。それさえ明らかになれば、彼が言うまでも無く、日本人がとるべき文化は自ずと明らかになるはずだ。

日本文化の素晴らしさ、例えば「情緒」というもの。これは日本の四季を経験し、移ろい易さというものを身体で体験しなければ、理解できない。こういう日本独特な文化は、日本にいるからわかると言える。であれば、欧米にいなければわからない欧米独自の文化があってもおかしくない。藤原はこの可能性をはじめから無視している。自分の知っている領域だけから欧米文化を解釈している。そこに、俺は違和感を感じる。

「すべての日本人に誇りと自信を与える」のはかまわないが、その与え方が問題だと思うのだ。なりふり構わず与えられた誇りと自信など、簡単にほころぶのではないだろうか。日本人にとって真に必要な誇りと自信は、短絡的な文化の比較からは決して生まれない。むしろ、極限まで己自身と己の理想を追求することから、初めて誇りと自信の芽が出てくるのではないだろうか。
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# by yoichikmr | 2006-09-22 00:57 | 記事
2006年 09月 21日

実は知らない知るべき歴史

あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書
保阪 正康 / 新潮社
スコア選択: ★★★★☆





「太平洋戦争とはいったい何だったのか」、戦後60年の月日が流れたわけだが、未だに我々日本人はこの問いにきちんとした答えを出していないように思える。…中略…戦後60年の間、太平洋戦争はさまざまに語られ、捉えられてきた。しかし私に言わせれば、太平洋戦争を本質的に総体として捉えた発言は全くなかった。「あの戦争とは何であったのか、どうして始まって、どうして負けたのか」----。圧倒的な力の差があるアメリカ相手に戦争するなんて無謀だと、小学生だってわかる歴史的検証さえも十分になされていないのである。…中略…本当に真面目に平和ということを考えるならば、戦争を知らなければ決して語れないだろう。だが、戦争の内実を知ろうとしなかった。日本という国は、あれだけの戦争を体験しながら、戦争を知ることに不勉強で、不熱心。日本社会全体が、戦争という歴史を忘却していくことがひとつの進歩のように思い込んでいるような気さえする。国民的な性格の弱さ、ずるさと言い換えてもいいかもしれない。日本人は戦争を知ることから逃げてきたのだ。…中略…歴史を歴史に返せば、まず単純に「人はどう生きたか」を確認しようじゃないかということに至る。そしてそれらを普遍化し、より緻密に見て問題の本質を見出すこと。その上で「あの戦争は何を意味して、どうして負けたのか、どういう構造の中でどういうことが起こったのか」----、本書の目的は、それらを明確にすることである。

本書の「はじめに」で著者が述べる問題提起である。言うに及ばず、今の時代に太平洋戦争が何であったかを知るには、学校で学ぶ歴史を超えて自分で情報を求めていかなければならない。当時の日本の軍隊の組織はどうなっていたのか、軍人が首相になるとはどういうことなのか、天皇は戦争にどのように関わっていたのか、そういうことを多くの日本人はやはり知らないと思う。もちろん、俺はほとんど知らなかった。特に天皇に関すること、そしてそれから付随するあらゆる構造的な問題、それらは近年になってやっと論壇に上がるようになったくらいだ。今でさえ正確に知ることは難しいのかもしれない。

保阪は、事実を列挙した後、極めて冷静に物事に評価を加えている。「極めて冷静に」とは、意図して客観的にという意味である。太平洋戦争に関して客観的な評価をすることは難しく勇気のいることだから、彼の試みは非常に好意的に受け取れる。戦後の多くの文献が指摘するように、昭和初期(戦前)までは、そして時折現在でも、日本には主観的な言説が中心にあり、個人の価値や日本の大衆レベルで醸造される価値は一方向のベクトルのみしかなく、しかもそれは絶対的な支配力をもっていたのだ。こういう状況下での歴史評価や分析などは全く普遍性を持たないものだから、斜に構えて当たらないといけない。けれども保阪は、その点、非常にデリケートに扱っており、それゆえ、この繊細なテーマでも信頼して読むことができる。

また、彼は、全体を通して、非常に明確に自分の主張を論じている。これは実際に読んでもらえればわかることだが、本文全体を経て「あとがき」で彼が述べる総括は実にわかりやすい。これは、上記のとおり、徹頭徹尾冷静な判断を積んできたことによると思う。
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# by yoichikmr | 2006-09-21 22:56 | 記事