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2009年 12月 24日

International Inequality と Global Justice

今日学術分野横断的に最も関心が集まっているのは国際格差(international inequality)かもしれない。ここに、最近調べたことをまとめておく。

経済学者は過去四半世紀に、国と国との経済的格差への関心を増した。その萌芽となったのは1980年代の内生的経済成長理論の進展だろうと思う。経済学者は、先進国と発展途上国という二つの相異なる経済状態へ至る要因を学問体系の内部から考えることができるようになった。

また、現実に観察される経済現象から得たデータをもとに行う実証分析の手法が進展したことも、経済学者の開発問題への従事を後押しした。動的な状態変化である経済発展を数量的に分析するためには、一時点における経済の比較では不十分で、複数の経済状態を同時に眺めながら、経済状態が動的に変化する要因を探さないといけない。近年の計量経済学的発展はこういう研究上の方法論を経済学へ導入し、多くの経済学者をこの分野へ引き付けた。

このように、経済学は諸々の方法論上の発展によって、経済を技術的に前進させる諸要因を探り始めることになったが、他方で、発見された諸要因を元に「いかなる社会」が導かれるべきかという道徳に関する価値判断に関して、経済学は依然として微力である。おそらく古くは19世紀のワルラスやエッジワースの時代以来、経済学の骨子には功利主義と効率主義があるが、これ以外の価値判断基準を取り込むことができないでいる。功利主義とは、最大多数の最大幸福を標榜する価値基準で、幸福の総量が大きければ、それを社会の構成要素間で分配することで、社会的により望ましい状況へ近づくことができると考える。効率主義は、技術的に達成可能な幸福総量であるなら、それが達成されることが望ましく、諸々の理由で幸福総量が減少することは望ましくないと考える。

これに対する批判が過去50年に少なくとも2点あって、ひとつがセンによる「潜在能力」という考え方であり、もうひとつがロールズによる「公正としての正義」である。潜在能力のアイデアは、第一に、価値は多次元あり、功利主義が考えるような一次元の価値(例えば、経済的豊かさ)は不十分だとし、第二に、一部の価値は個人間で移転不可能だとする。一方、公正としての正義は、功利主義に新しい価値基準を導入することによって、その不十分さを修正する。具体的に導入される価値基準とは公正性のことで、これは、社会構成員によって暗黙のうちに賛同されるとされる。

センによる潜在能力は、近年の経済学では、純粋理論レベルから導入が試みられ始めている。第二点目の「移転不可能な価値」は、その名のとおり、移転不可能な効用として理論化され始めている。一方、ロールズによる公正としての正義は、近年の経済学では導入に成功していない。

注目すべきことは、このロールズによる公正としての正義("A Theory of Justice", 1971年)の概念が、経済学者も共有する国際的経済格差の考察に応用されているということだ。その骨子は、ロールズの理論を一国のものから世界のものへと拡張する。アイデアは、一国内で見れば、格差が拡大しないように是正がされるべきだと言うロールズ理論を応用し、世界レベルの観点に立てば、格差が拡大しないように貧しい者へ援助されるべきだというものである。ロールズのハーバード大学の弟子であるポッゲ(Thomas Pogge)は、先進国のひとは積極的に発展途上国の人々へ援助をすることが、公正としての正義の観点から要求されるとする。この考え方を、Global Justiceという(後日注:この分野に関する詳しい議論については International Justice - Stanford Encyclopedia of Philosophy を参照のこと(2011年1月31日))。

以上、経済学による国際格差への取り組みを基礎に、政治哲学が過去50年間に付加した思想を非常に簡単に要約してみたが、最後に、未だロールズとポッゲを完全に読み込んでいない段階で、これらに対する私見も残しておく。

第一に、国際的格差が政治哲学者にまでテーマとして取り上げられる現状を見ると、おそらくこれは人類にとっての今日的課題の最たるもののひとつだろう。国際的格差は、それ自体に意味があるだけでなく、グローバリゼーションという作用を通じて、国内格差にも影響を与えている。すると、議論は国際的場面で始まったにもかかわらず、ロールズ的な国内の場面に戻ってくる。その意味で、この思想的発展は一世代前からの不連続な変化ではなく、同一線上にある。

第二に、ロールズの一国内再分配はまだしも、ポッゲの国際間再分配は、それを実行する主体があいまいで、その結果、先進国に属する個人による自主的援助が求められている。しかし、この点は、一般的に言われる援助と同様、その動機がどこから生じるのかという点に謎を残す。第二次世界大戦以降の世界は、直接関係のない個人間で「いかなる統治機構をも超えて」行われる所得再分配(援助)を人類史上おそらく初めて開始したけれども、その行動をもたらす動機に関しては、われわれは確かなことを知らない。動機が重要となるのは、援助が結局のところ援助者を益して、被援助者を益さないということがあり得るからだ。

第三に、ロールズとポッゲの公正性という議論を与件とすると、社会が、一国家であれ諸国家であれ、戦略的に低発展状態に陥ってしまう可能性がある。先進国が国際的格差を拡大させすぎたときに、公正性の観点から途上国への援助(再分配)を道徳的に求められるのであれば、先進国の人々には、初めから中程度の発展に抑えようとするインセンティブが働く。このとき、効率性と公正性という二つの価値概念が衝突しあう。望ましい社会の姿を判断するための価値概念自体が衝突するとき、われわれはどのような選択をすべきなのか。道しるべとなる価値基準を、われわれは持ち合わせていない。
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by yoichikmr | 2009-12-24 10:17 | 記事