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2007年 04月 26日

頼むよ、ボストン

胃が痛くなりそう。

いま奨学金に応募するために書類の準備をしている。研究計画書と小論文を書いていて、できるだけ良いものを書くためにこの一ヶ月の間、いろいろな角度からいろいろなことを考え続けた。その甲斐あってか、自分でも納得できそうなものができつつある。今週末の期限ギリギリまで、この作業を続けようと思っている。

ところが、問題がひとつあって、応募するのに必要な大学院からの正式合格通知が未だボストンから届いていない。この奨学金は大学院から正式に合格許可が出た者を応募対象にしている。応募者は応募書類のひとつに正式合格通知のコピーを付け加えないといけない。現状では、俺はこのコピーを添付できない。ヤバイと思った俺は、今週頭の月曜日に奨学金の団体に問い合わせの電話をして、最悪の場合、学部からメールで送られた合格通知をコピーして添付するから正式合格通知無しでもいいか、と聞いてみた。答えはネガティブなものだった。駄目とは言わないが、審査をする先生(学者)が認めるかどうかはわからないと。そして、去年までの結果を見る限り、正式合格通知無しで受かっている人はいない、と言う。まいった、けどとりあえず通知が届くのを待つことにした。

今夜、まさに30分前に、ボストン大の大学院事務担当の人からメールが来た。いつまでたっても正式合格通知が届かないことにしびれを切らせて、俺は先週問い合わせのメールを送っていた。もう通知は送付したのか、していないならできるだけ早く送ってくれ、と。そして今夜のメール。彼女曰く、大学院事務局は経済学部から出願書類と結果をつい最近受け取った、できるだけ早く正式合格通知を送付する。

(  ゚ ▽ ゚ ;)    まだ郵送出してなかったのかよ・・・・

(すまんとばかりに)君の住所はこれでいいんだよね?
と確認してきたけど、それも間違ってた・・・・

本当に、胃が痛くなりそう。
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by yoichikmr | 2007-04-26 00:01 | 留学準備
2007年 04月 21日

memo: Property Rights

<所有権> from Wikipedia
[歴史]
近代の所有権は、土地に対する複雑な封建的制約の廃止を目指して生成した。1789年のフランス人権宣言は、所有権を「神聖不可侵」として所有権の絶対性を標榜し、私有財産制の基礎を確立した。大日本帝国憲法27条1項に、「日本臣民ハ其ノ所有權ヲ侵サルヽコトナシ」と定められているのも同様である。しかし、20世紀に入ると所有権の絶対性による矛盾が表面化し、その是正が図られた。1919年のヴァイマル憲法(ワイマール憲法)153条3項が「所有権は義務を伴う」(Eigentum verpflichtet.)と定めたことは、この現れである。日本国憲法では、「公共の福祉」(日本国憲法29条2項等)により、所有権には多くの制限がかけられている。現在では、公衆衛生や消防などの警察的な制限だけでなく、都市計画や環境保全の分野など、行政法によって多くの制限が加えられている。


Thorstein Veblen, "The Beginning of Ownership," American Journal of Sociology, vol. 4 (1898-9)
邦訳リンク
所有権は、素朴に一方では生産的労働の概念に含まれ、他方では習慣的使用の概念に含まれるというような、単純で直観的な概念でない。それは、孤立した個人の精神に備わっているものというような、最初から与えられているものではない。また、人が生産活動で協働し、仕事の手はずを整えるようになり、社会化した生活のストレスのもとでお互いに自制するようななったとき、ある程度放棄しなければならなかったもの-いってみれば社会契約説がそれに原因を帰しているもの-でもない。それは慣習的事実であり習得すべきものである。それは長い習慣付けの過程を経て、過去のどこかの時点で制度にまで成長してきた文化的事実であり、あらゆる文化的事実と同じく、世代から世代へと伝承されていくものである。

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by yoichikmr | 2007-04-21 02:14 | ECONOMICS_経済学
2007年 04月 14日

出願結果

未だ結果は出揃っていないんだけど、気にしてみてくれている人もいると思うので、現状をまとめてみることにする。(志望順)

[Accepted]
Boston University

[Rejected]
London School of Economics
Brown U
Columbia U
U of Pennsylvania
UC Berkeley (Agriculture and Resource Economics)
U of British Columbia
U of Maryland
U of Minnesota
Georgetown U

[Pending]
New York University, Waitlisted (Almost Surely Rejected)
University Collage London
Washington U at St. Louis

大方出揃ったという感じ。ココ最近は、補欠になっているニューヨークから良い便りが来ないかなぁってことばっかり考えてます。もしあと一週間で何も言ってこなければ、ボストンに行くことになりそうです(それしか選択肢がない)。
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by yoichikmr | 2007-04-14 13:15 | ECONOMICS_経済学
2007年 04月 10日

memo; 維新後制度と志士の出身地

どこで読んだのか忘れたけど、最近耳にした興味深い視点を忘れないうちに書き残す。

明治維新後の大規模な、そして平和裡の改革(革命)を行うことができた大きな理由に、その改革(革命)を担った維新の志士たち(cf.西郷、大久保、桂など)が尊皇攘夷派だった雄藩出身であるということがある。薩摩藩は古くから、長州藩も比較的古くから幕府に対して強硬路線、あるいは露骨な敵対路線をとっていたことは有名で、それゆえ、これらの藩内では明治維新よりはるか前から幕府が生み出した「諸制度」を半ば無視してきた。それが、これら諸藩の藩士たちの幕府「諸制度」に対する意識の低さを形作っていたわけで、結果的にそれが維新後の制度変革を容易にしたと言える、

という内容だった。出所がどこだったか全く思い出せない。・・・。たしかに、佐幕藩だった土佐藩からは、維新後の制度変革時の立役者を生んでいないのではないか。板垣退助は体制側というよりも、より市民的立場から自由民権運動をしていたわけだし。逆に、薩摩藩の西郷隆盛と大久保利通は、たしか藩内でも相当低い身分から登用されていたはずだから、このことは薩摩藩が幕府「諸制度」をいかに無視していたかも物語っていると思う。当然、そういう風土の中でよりリベラルな発想を自然に持ち出していたと考えることも乱暴ではない。(賢人の薩摩藩13代藩主・島津斉彬は、幕府に無断で勝手に藩士を海外留学させていなかったか・・・?)

とにかく、人がある制度の中に長く居続けると、その制度に対する違和感を持たなくなる上に、制度変革にstake holderとして対抗しそうだ。(それは当然で、彼らは外的環境の制度に合わせて既得権を生み出してきたのだから。)逆に、その制度に対する免疫力を持っている人間は、制度選択・制度設計に柔軟に対応できる様な気がする。

これをサポートするかもしれないのが、日本の過去200年に起こった変革の時期(明治維新と第二次大戦後の復興)を担った主な役者は、既得権を持った老人ではなくて、新進気鋭の若者だったという点だ。
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by yoichikmr | 2007-04-10 21:20 | 記事
2007年 04月 09日

デザイン 知識 技能

創造を次代に手渡すデザイン拠点
今こそ日本のもの作りの復活を--。デザイナー三宅一生が動き出した。東京・ミッドタウンに開設した「2121デザインサイト」で、創造を担う次代の育成にかける。

職人技がどんどん消えているのを、服作りの現場で日々、実感しています。例えば今、自分たちが34年ほどの間に作ってきた服をアーカイブ化していますが、ほとんどが再現できない。手仕事で生地や糸を作ってきた小さな工場がつぶれているからです。1998年に「A-POC」シリーズという服を作り始めたのは、各地の失われゆく職人技を掘り起こすためでもありました。僕が今来ているシャツとジャケットは、昔織物の産地だったある地方で、傘の生地を織ることで生き残った工場で作ったものです。うら寂れた工場から、漁網などを作っていた古い機械を発見し、セーターを編んだりもしました。それから十年近くたちますが、今ならまだ間に合う。伝統の技と誇りを持つ人が生きていて、次の世代に手渡せる。デザインサイトはその拠点にもなれると考えています。(中略)デザインは表層の意匠にすぎない、とみられがちですが、違います。意匠を支える高い職人の技こそデザインの本質なのです。「言葉」を題材にして現代の教育を考えることはできるし「水」をテーマに環境問題にかかわることもできる。その際、我々デザイナーには物事をポジティブに考える、という特殊な才能があります。アーティストが時に死を表現するのに対し、デザイナーはどんなときも「生かす」ことから発想する人間です。
日本経済新聞2007年4月4日夕刊


職人技という技能の喪失-それはもの作りの危機そのものでもある。デザイナーを頭脳とすれば、職人は手足だ。どちらが欠けても一流は生み出せない。ならば、ここにあるのは、知識と技能との補完性に他ならない。なぜ技能だけが失われるのか?昔はあったはずの技能が日本からなくなってしまうのはなぜだろう?大量消費社会の到来が、本当に良いものを作る職人を締め出したのか?それは進化の過程の欠かせない一部分なのだろうか?多くの人に必要とされる技能だけが残っていくのだろうか?山口県の伝統芸能である猿回しが消えかけたように。

(ひとつの仮説 - ものの需要者が間接的に技術・技能選択をする。需要者は財・サービスの本質を理解できずに何らかの外的要因によって選好順序を決める。そこで、本質的に高質な財・サービスが淘汰される可能性が生まれる。それが高度な技術技能の散逸に繋がる。)

デザインに対する思いを経済学の視点が追い越してしまうのが俺の今の悪いところ。デザインをデザインとして、もう少ししっかり観察したいと思う今日この頃。しかし、創造する世界はデザインにせよ学問にせよ何にせよ、共通する熱い何かがある気がする。もちろん、文明を創造・形成する俺たち一般人の生活にも。
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by yoichikmr | 2007-04-09 22:42 | 日記
2007年 04月 01日

Design

東京・六本木の防衛庁跡地にできた「東京ミッドタウン」内に、三宅一生と安藤忠雄の合作デザインサイトができたらしい。今朝フジテレビの「ボクらの時代」という番組にふたりが出演していた。

三宅一生の「21_21」デザインサイトが安藤忠雄展でオープン
http://www.j-cast.com/2007/03/30006524.html
日本人の美意識を建築に 安藤忠雄さんに聞く
http://www.sankei.co.jp/culture/bunka/070309/bnk070309002.htm


「日本は世界のデザイン大国になり得る」

安藤忠雄と三宅一生の共通する思いは、日本が世界のデザイン大国になり得るというところにあるらしい。世界をまたにかけて活躍してきた安藤は、日本人が持っている美への意識と仕事への責任感というものは他の国の人間にはありえないことなのだと言う。彼はこういう話をする。例えば、外国の職人は誰かに管理されないと仕事ができない。一方、日本の職人は、個人個人が自らを管理して仕事をする。この違いの発端は、日本人職人の、自分の為す仕事への誇りにあるのではないか。彼らのデザインするという仕事は、多くの職人の技術と誇りとに支えられていると、そして、それをベースにして初めて彼らのデザインという仕事が世界に発信できるものになるのだと、「職人・デザイナー・世界」という3つのステップが連なったとき、モノが素晴らしいものになるのだと、安藤はそう言う。だから、素晴らしい職人が多くいる日本は、世界のデザイン大国になることができるのだと言う。

「人間は、どこに生まれて、どこで育ったかということから切り離されることはありえない」

安藤の口からこの言葉を聞いたとき、正直言って俺はびっくりした。デザインという仕事(彼の場合は建築という仕事)において、それまでデザイナーの出自が意味を持つなんて考えていなかったからだ。デザインというものは、通常、それの受け手、つまりデザインされたものを観る側の予想と期待を良い意味で裏切ること、そして、それまで存在しなかったコンセプトを形にすることに意味があるのだと思っていた。だから、デザイナーが誰であれ、その受け手が誰であれ、デザインに斬新性があるということに、デザインすることの意味があるのだと思っていた。たしかに、どこの国の人間がデザインするかで、作品の色は違ってくる。けれども、そういう作品のバックグラウンドは、デザインにおいては第二義的なものでしかないと思っていた。安藤の言葉は、出自が第二義的な程度以上の意味を持つことを物語っている。

デザインに対して出自が持つ意味は、元を辿れば、国の風土と人の生活様式に行き着くのではないかと思う。こと建築、インテリア、ファッション、グッズに関して言えば、デザイナーの生まれ育った国の風土と、その国にいる人たちの生活様式とが、デザインに対して直接的間接的に何らかの影響を及ぼしそうだ。

出自は、それが作品そのもののデキに影響するから大事なのか?それとも、風土と生活様式とを文化と呼べば、文化がデザインという舞台で共存し、主張しあえるから大事なのか?
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by yoichikmr | 2007-04-01 07:51 | 日記