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カテゴリ:記事( 38 )


2007年 05月 23日

Jackは死んでいなかった!

Jackといえば、Jack Dawson。(というほどのことでもないが・・・)
Jack Dawsonといえば、そう Titanic !

覚えているだろうか、あのラストシーン。レオナルド・ディプリオ扮する Jack が、沈没するタイタニックを追うように深い大西洋の奥底に沈んでいったシーンはあまりにも有名だ。

その有名なシーンを目に当たりにしながら、「実はあそこで Jack は死んでいなかったりして・・・(笑)」なんてことを愚にも想像してみたりしたことはないだろうか?そして、その妄想通りのフリで始まる Titanic 第2弾が存在していたということを知っているだろうか?そんなことを日本に住む我々は全く知らない。まずは、下にリンクしたちょっと長めの予告編を見て欲しい。

予告編を見てもらえれば分かるが、結構真面目に作ってる。これって、相当B級映画だと思う。設定が現実的に(ほとんど)ありえないところに置かれているから、コメディにしかならないはず。だって、
実は生きていたという Jack が保護の下から脱走しちゃうんすよ。
オイ、おまえ逃げちゃうのかい!!って感じっす。

おそらく無理が、見れるなら是非見てみたい。

Titanic Two the Surface 予告編
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by yoichikmr | 2007-05-23 14:12 | 記事
2007年 05月 18日

World Bank

Paul Wolfowitz resigns from the World Bank.
An Article from New York Times
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by yoichikmr | 2007-05-18 16:17 | 記事
2007年 04月 10日

memo; 維新後制度と志士の出身地

どこで読んだのか忘れたけど、最近耳にした興味深い視点を忘れないうちに書き残す。

明治維新後の大規模な、そして平和裡の改革(革命)を行うことができた大きな理由に、その改革(革命)を担った維新の志士たち(cf.西郷、大久保、桂など)が尊皇攘夷派だった雄藩出身であるということがある。薩摩藩は古くから、長州藩も比較的古くから幕府に対して強硬路線、あるいは露骨な敵対路線をとっていたことは有名で、それゆえ、これらの藩内では明治維新よりはるか前から幕府が生み出した「諸制度」を半ば無視してきた。それが、これら諸藩の藩士たちの幕府「諸制度」に対する意識の低さを形作っていたわけで、結果的にそれが維新後の制度変革を容易にしたと言える、

という内容だった。出所がどこだったか全く思い出せない。・・・。たしかに、佐幕藩だった土佐藩からは、維新後の制度変革時の立役者を生んでいないのではないか。板垣退助は体制側というよりも、より市民的立場から自由民権運動をしていたわけだし。逆に、薩摩藩の西郷隆盛と大久保利通は、たしか藩内でも相当低い身分から登用されていたはずだから、このことは薩摩藩が幕府「諸制度」をいかに無視していたかも物語っていると思う。当然、そういう風土の中でよりリベラルな発想を自然に持ち出していたと考えることも乱暴ではない。(賢人の薩摩藩13代藩主・島津斉彬は、幕府に無断で勝手に藩士を海外留学させていなかったか・・・?)

とにかく、人がある制度の中に長く居続けると、その制度に対する違和感を持たなくなる上に、制度変革にstake holderとして対抗しそうだ。(それは当然で、彼らは外的環境の制度に合わせて既得権を生み出してきたのだから。)逆に、その制度に対する免疫力を持っている人間は、制度選択・制度設計に柔軟に対応できる様な気がする。

これをサポートするかもしれないのが、日本の過去200年に起こった変革の時期(明治維新と第二次大戦後の復興)を担った主な役者は、既得権を持った老人ではなくて、新進気鋭の若者だったという点だ。
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by yoichikmr | 2007-04-10 21:20 | 記事
2007年 03月 17日

Advice from smone whose dad is an adcom

掲示板のその後の経過を見る限り、この投稿をした輩は偽者くさいという共通了解になっている。よって、俺がコピペした以下の文章はadcomからのアドバイスではないと判断して良い。ただし、以下で述べられる内容のいくつかは考慮するに値するものもあるので、消去せずに残そうと思う。(2007.3.20)

I found a post on a board which is worth saving. The writer of the post is now studying at top 5 grad program, and his father seems to be an admission commitee member somewhere at top 10. This post implies that there is a lot of misleading rumor, especially on LoR (Letters of Recommendation) and SoP (Statement of Purpose). I found there is huge misunderstanding on SoP. We need to write the relevance of our plans of study and faculties' research and papers, and how we are interested in it, and it seems that a mere plan of study in some field is powerless and meaningless.

[Adcom Advice versus the Common Board Advice ]

by FightingIrish1
on 16 Mar, 2007
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by yoichikmr | 2007-03-17 00:37 | 記事
2007年 03月 14日

芸術が価値観を作る

短い帰省の間に本など全く読まなかったと数日前の日記に書いたけれど、実は大変良いと思う新書を読んだ。
「芸術力」の磨き方
林 望 / / PHP研究所
スコア選択: ★★★★★


[内容]
本書は、著者自身による芸術の楽しみ方を紹介する。著者は、芸術を楽しむための芸術との付き合い方を説く。芸術と付き合うためには、芸術を学ばないといけない。学ぶことから、芸術に対する自分自身の考え方や好みが分かってくるからだ。ひとたび自分自身の考え方や好みがわかれば、自分自身の考え方や好みにとことん忠実になってみる。そこから芸術を楽しむことが始まる。芸術の楽しみが自分自身の中の「価値観」から出発するものであれば、芸術そのものは至るところに転がっている。人の力が加わるところには、どこにでも芸術がある。

[評]
後日記載予定
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by yoichikmr | 2007-03-14 23:56 | 記事
2007年 01月 31日

Migration

ヨーロッパでは、EUへの新規加盟国から古参加盟国の西側への移住が起こる一方で、移民たちの母国への送金も大きいようだ。旧西側諸国へ移住した移民たちは、そこの国民よりも悪い生活水準にありながら、稼いだ所得を母国へ送金して、それが家族や車、家、ひいては自らのビジネスの資金にもなるという。The Economistの記者の推計では、そうした送金は年間190億ドルもの金額(価値)になり、いくつかの国では、送金が海外直接投資よりも大きな意味を持つこともあるようだ。
The Economist, "Europe's huddled masses" (Jan 18, 2007)

この記事に関して、経済学を学ぶ者として気になることは労働賃金格差だ。例えばポーランドからイギリスへ移住する一人の若者がいるとする。彼をRobertと呼ぶと、Robertはイギリスで働いて貯めた所得の一部をポーランドの家族へ送るわけだが、この送金の水面下には2つの異なる現象が意味を持つと思う。現象の第一は、ポーランドからイギリスへの単純な労働力流出というもの。旧東側諸国のひとつとしてのポーランドは、経済システムが社会主義構造から資本主義構造へ移行する過渡期にある。この過程で、国内の労働力が減少することは国内産業の振興に悪影響が出る可能性がある。現象の第二は、ポーランドで得られる職より高い給料のイギリスの職に就職可能というもの。Robertはどの国で働いても同じ技能を発揮する。経済学の言葉で言えば、彼は自分自身の人的資本(あるいは技能)の水準で仕事をこなす。経済学的に興味深い疑問は、同じ人的資本(技能)水準で仕事をするのに国ごとに給料が異なるのはなぜか?だ。そして、労働力移動を生むそうした賃金の格差がいつまでも消失しないのはなぜか?というものだ。

需給関係のみから賃金水準が決定されると考えるベーシックな理論からは、一般的に賃金格差の恒常性は説明できない。旧東側諸国から労働者が絶えることなく旧西側諸国へ流入すれば、いずれ労働力移動は止まるように賃金格差がなくなるはずだからだ。現実に賃金格差が恒常的であるなら、なんらかの力学が賃金格差裁定を阻むように働いている可能性がある。

この現実に対するひとつの回答は、生産における技術と労働者の技能との補完性によって説明できるかもしれない。補完性とは、文字通り双方を補い合う関係にあるということで、技術の欠如を技能によって補うことができる関係のことである。生産にこのような関係があるとき、より技術水準の高い企業で働くことで、労働者はより多くの賃金を得られる可能性がある。しかし、労働者のこのようなインセンティブと同じように、企業は技能水準の高い労働者を雇うことで利潤を多くすることができる可能性も持っている。だから、経済全体で、より技術水準の高い企業に低い技能の労働者ばかりが引きつけられ続けるとは考えられない。

この補完性の議論で賃金格差を説明しようとするなら、労働市場に何らかのfriction(摩擦)があるせいで、企業と労働者の効率的なmatchingが達成されない可能性を探らないといけない。つまり、企業が意図せず低技能の労働者を雇用してしまうメカニズムとは何なのかを探る必要があるということだ。

はて、それはいったい何なんだろう?
(修正;13th Feb 2007)
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by yoichikmr | 2007-01-31 13:13 | 記事
2007年 01月 14日

日本の格差社会について

57ヶ月続いたと言われるかつてのいざなぎ景気を超えて、平成の景気は過去最長の景気拡大が続いているとされる。一方でその実感はないと広く指摘され、先ごろまでの景気低迷への危機感が嘘のように論壇には景気に関する議論は消えうせ、「格差社会」に関する議論が増え始めている。雑誌文芸春秋は、「日本の論点」の編集部による「10年後の『格差社会』」と題する論文を掲載している。この論文では、来る10年間に押し寄せるであろう日本経済が抱える11の論点における格差を論じている。11の論点とは、雇用・会社・所得・資産・教育・自治体・治安・対災害・医療・結婚出産・老後である。

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by yoichikmr | 2007-01-14 01:19 | 記事
2007年 01月 13日

memo; 灰谷健次郎

幼少の頃あまり本を読むことの無かった俺が初めてしっかりした小説を読んだのが灰谷健次郎の「太陽の子」だった。今となってはその内容を全く覚えていないが、当時深い感慨と共にこの本を読み終えたことは鮮明に覚えている。今月刊行の文芸春秋で彼のobituaryを発見した。以下に簡単に引用する。
 児童文学作家・灰谷健次郎は、教育生活と放浪の後に、子供たちの成長がテーマの作品を発表して、膨大な数のファンに愛読された。(中略)
 1934年、神戸市生まれ。定時制高校に入り、商店の店員、港湾労働者、印刷見習い工、電気溶接工など、職を転々としながら大阪学芸大学に入学。卒業後は神戸の小学校で教員を続けるかたわら、児童雑誌『きりん』の編集に携わった。72年、突如、朝礼で「先生は辞める」と言って退職。沖縄・アジア放浪の旅に出かける。
 最初の作品を発表した後も、『太陽の子』や『ひとりぼっちの動物園』などを発表して、多くのファンを得た。80年、住居を淡路島の山中に移し、自給自足の生活を始め、83年には神戸市に「太陽の子保育園」を設立している。91年から沖縄の渡嘉敷島に邸宅を建てて移住。(中略)
 97年、写真週刊誌が殺人容疑の少年の顔写真を掲載したことに抗議して、出版社から著作の版権を引き揚げ話題になった。
(2006年11月23日没、食道癌、72歳)
児童教育に捧げた人生だったのだろう。教師をやめたことや自給自足生活をしていたことなどから、彼は極めて自由人だったということが想像される。同時に97年の件が、詳細はおぼろげにしか覚えていないが、彼が意志の人であったことをも想わせる。合掌。
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by yoichikmr | 2007-01-13 22:57 | 記事
2006年 12月 12日

応用経済学の方法についての私論

私きむらの研究関心は、経済学の分野の中でも応用経済学という分野に属する。他の多くの科学と同様に、経済学にも基礎研究と応用研究とがある。基礎研究とは、学問上の方法論的改善を期するものであったり、概念的深化あるいはパラダイムの根本的転換を図るものだったりする。経済学において、こういう学問は今現在、ゲーム理論であり、行動経済学であり、あるいは神経経済学である。これらは、既存の経済学の考え方そのものに対して疑問を投げかけつつ、新たな考え方を提示しているか、しようとしている点において野心的であり、経済学そのものの発展に対して貢献をしてくれるだろうと期待される。一方の応用経済学というものは、現在の学問的枠組みの中で、現実社会において解決が求められている問題に対して回答を与えることを目的とする。解決が求められる問題というのは多岐に渡り、ここで列挙するには能力的に限界がある。例を挙げれば、経済発展と所得格差とはどういう関係にあるのかという問題や、世界中を豊かにする貿易関税制度とはどのようなものだろうかというような問題がある。そのような広大な学問分野の中で、きむらは応用分野に関心を持っている。

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by yoichikmr | 2006-12-12 01:57 | 記事
2006年 11月 21日

いわばシナジー

お茶ほど相手を選ぶものも少ない。「お~い、お茶」と一緒に「どら焼き」を食べてみた。あんことカステラの甘さの上に、「お~い、お茶」が乗っかってくるとき、「お~い、お茶」はいつもは見せない渋さを発揮した。お茶の渋い香りが通り過ぎると、それを追いかけるように小豆本来の香ばしさがやってきた。お茶とどら焼きは、お互いを引き立てあっていた。お茶とどら焼きのドラマチックな共演に、そいつらのポテンシャルの高さを舐めていた自分を恥じた。一人ずつかかってきたらどうってこと無いはずのお茶とどら焼きが一緒になって攻め込んできたときのこいつらの威勢のよさに、不覚にも、「食」の奥深さを感じ入ってしまった。

どうでもいいことなんだが、「補完性」の良い例だから記録しておく。

(笑)
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by yoichikmr | 2006-11-21 00:45 | 記事