カテゴリ:日記( 60 )


2007年 05月 17日

アレルギー

今日は2週間ぶりに耳鼻科に行った。鼻の通りが悪くなる副鼻腔炎を治すためだ。2週間前に病院に行ったとき、アレルギーがあるかどうかを検査するための血液採取をした。その1週間後に検査結果は分かっていたようだが、お金が無くて病院に行くのが1週間遅れてしまった。

担当の先生は開口一番、「アレルギーが出てますね」と言う。検査結果を手渡される。見ると、きむらは「ハウスダスト」「スギ」「ヒノキ」のアレルギーがあるらしい!!!

きむら 「えっ、これって、か、花粉症ですか!?」
先生  「まぁ、そんなとこですね。」

目を疑った。耳を疑った。まさか、花粉症とは・・・。これまで花粉症ではないと思い込もうとしていた。けれど、手渡された花粉症説明の紙を見ると、おれの鼻の状況と花粉症の症状は見事に一致していた。

副鼻腔炎と花粉症は併発しやすいらしい。おれの場合、鼻でアレルギーが起こるアレルギー性鼻炎のせいで、鼻の中が腫れているらしい。だから空気の通りが悪くなっているようだ。

周知の通り、アレルギーへの過敏な反応(花粉症)に対して、反応を抑える効果的な方法は見つかっていない(だから、多くの人が花粉症に苦しむ)。おれの場合、通年性の「ハウスダスト」のアレルギーがあるので、薬で対処しようとすると年がら年中薬を飲んでいないといけないことになる。それは馬鹿らしいので、鼻の中の粘膜の膨張を凝固させる処置をしませんかと持ちかけられた。なんだか面倒なことになってきた。
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by yoichikmr | 2007-05-17 00:26 | 日記
2007年 05月 13日

進学意志 東京と関西の情報をまとめる

5月11日金曜日
夜、家に帰るとボストンから手紙が来ていた。合格通知だった。「やっと来たか・・・」と安堵。書類に記載されていたウェブページ上で、大学院に進学の意志を伝えた。「進学or辞退」の選択と名前などを書くだけという実にアッサリした申請。

その他、ネット上で予防接種についての情報を集める。どうやら東京には予防接種の名物おばちゃんがいるらしい。。。見てみたい。。。BUのサイトで予防接種を意味する"immunization"を検索してみたらなんとノーヒット!予防接種なしでアメリカに乗り込んだろかと思うこと小一時間・・・、俺にそんな度胸は無いことを思い出してまた情報を集める。結局よくわからず。

5月13日日曜日
気づけば東京帰省時に撮った写真と関西で撮った写真とがいっぱいパソコン上で遊んでいた。東京再発見のブログ"Another Discovery of TOKYO"も全く更新されずに放置され続けている。せっかくなので、これから東京再発見ブログを整備していくと共に、関西食事・旅行ページを新たに作ろうと思い立った。そして、これまできむらが作ってきたブログ(いくつもあり)を整理・統合した上で、すべてを有機的に結びつけようと思う。
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by yoichikmr | 2007-05-13 22:39 | 日記
2007年 05月 02日

俺、鼻が曲がってた

先のエントリーで話題にした奨学金ですが、すったもんだの末、郵送にて応募を済ませました。(受理されるかどうかという問題は依然として残るんですけど)

さて、今日は耳鼻科に行ってきました。実は俺、左右の鼻が全開ということがほとんどなくて、必ずどちらかが詰まっているんです。もう物心ついた頃からそうでした。左右片方ずつの全開をそれぞれ50%とすると、俺は良いときで80%で、悪いときは10%しかopenじゃないんです。なので、「俺の人生=息苦しい」というのはあながち間違いでもありませんでした。

2年前に大学院に入って、ひたすらしごかれていた頃、昔よりも集中力とひらめき力みたいなものが衰えていることに気づきました。はじめは歳のせいかと思っていたのですが、しだいに鼻の通りの悪さが原因で長い年月を経て、脳に悪影響が出ているんじゃないかと思うようになりました。しかし当時は殺人的な忙しさだったため治療せず、あれよあれよという間に2年が経っていました。

そして留学を間近に控えた今、治すなら今しかないという思いに駆られ、インターネットでこの症状を検索すること15分・・・。

「この症状は(鼻づまりは)集中力の欠如に繋がる」とあるわけです。

この瞬間決めました。俺は治すと。この鼻づまりを治してやると。
そして、これまでの学業上の失敗をすべて鼻づまりのせいにしてしまおうと思ったのでした。


正式な病名は「副鼻腔炎」で、俗称を「蓄膿症」と言います。
鼻の穴から奥に行ったところにあるいくつかの空洞(これを副鼻腔フクビクウという)に、分泌物が溜まってしまう病気です。(実は俺がこの病気になっていることは4年前に別件で頭のCTスキャンをしたときから知っていました(←大学3年のときにYだMほにタックルしようとしてボーリング球を顔面にぶつけたとき)。けど際立った症状も無かったので放置していました、その後。)

今日行った耳鼻科医院でもCTスキャンをやってもらって、頭の断面図を何枚も取ってもらいました。頭部を前から千切りにするように。

すると、その結果を見た先生から衝撃の一言が!

「鼻、曲がってますね」

先生の説明によると、左右の鼻の穴の間には壁があるんだけど、俺の場合、この壁が右寄りにカーブしているらしいのだ。たしかに、頭部の断面図を見ると、その通りにカーブしていた。これって遺伝なんですか、と聞いてみると、

「ええ、そうですね、外的環境による場合もありますけど

と言う。外的環境って、イコール「誰かに顔面殴られる」しかありえない気がする。たしかに、誰かが右手で俺の顔を殴ってくる場合、俺の顔の左側から拳が入って、俺の鼻を右向きにし得る。ちっちゃいときの殴り合いがこんなとこで効いてくるとは・・・(→小さいときは鼻も柔らかくて曲がりやすい!?)

驚きの新事実発見もありましたが、薬を飲みつつ治していくことになりました。
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by yoichikmr | 2007-05-02 21:48 | 日記
2007年 04月 09日

デザイン 知識 技能

創造を次代に手渡すデザイン拠点
今こそ日本のもの作りの復活を--。デザイナー三宅一生が動き出した。東京・ミッドタウンに開設した「2121デザインサイト」で、創造を担う次代の育成にかける。

職人技がどんどん消えているのを、服作りの現場で日々、実感しています。例えば今、自分たちが34年ほどの間に作ってきた服をアーカイブ化していますが、ほとんどが再現できない。手仕事で生地や糸を作ってきた小さな工場がつぶれているからです。1998年に「A-POC」シリーズという服を作り始めたのは、各地の失われゆく職人技を掘り起こすためでもありました。僕が今来ているシャツとジャケットは、昔織物の産地だったある地方で、傘の生地を織ることで生き残った工場で作ったものです。うら寂れた工場から、漁網などを作っていた古い機械を発見し、セーターを編んだりもしました。それから十年近くたちますが、今ならまだ間に合う。伝統の技と誇りを持つ人が生きていて、次の世代に手渡せる。デザインサイトはその拠点にもなれると考えています。(中略)デザインは表層の意匠にすぎない、とみられがちですが、違います。意匠を支える高い職人の技こそデザインの本質なのです。「言葉」を題材にして現代の教育を考えることはできるし「水」をテーマに環境問題にかかわることもできる。その際、我々デザイナーには物事をポジティブに考える、という特殊な才能があります。アーティストが時に死を表現するのに対し、デザイナーはどんなときも「生かす」ことから発想する人間です。
日本経済新聞2007年4月4日夕刊


職人技という技能の喪失-それはもの作りの危機そのものでもある。デザイナーを頭脳とすれば、職人は手足だ。どちらが欠けても一流は生み出せない。ならば、ここにあるのは、知識と技能との補完性に他ならない。なぜ技能だけが失われるのか?昔はあったはずの技能が日本からなくなってしまうのはなぜだろう?大量消費社会の到来が、本当に良いものを作る職人を締め出したのか?それは進化の過程の欠かせない一部分なのだろうか?多くの人に必要とされる技能だけが残っていくのだろうか?山口県の伝統芸能である猿回しが消えかけたように。

(ひとつの仮説 - ものの需要者が間接的に技術・技能選択をする。需要者は財・サービスの本質を理解できずに何らかの外的要因によって選好順序を決める。そこで、本質的に高質な財・サービスが淘汰される可能性が生まれる。それが高度な技術技能の散逸に繋がる。)

デザインに対する思いを経済学の視点が追い越してしまうのが俺の今の悪いところ。デザインをデザインとして、もう少ししっかり観察したいと思う今日この頃。しかし、創造する世界はデザインにせよ学問にせよ何にせよ、共通する熱い何かがある気がする。もちろん、文明を創造・形成する俺たち一般人の生活にも。
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by yoichikmr | 2007-04-09 22:42 | 日記
2007年 04月 01日

Design

東京・六本木の防衛庁跡地にできた「東京ミッドタウン」内に、三宅一生と安藤忠雄の合作デザインサイトができたらしい。今朝フジテレビの「ボクらの時代」という番組にふたりが出演していた。

三宅一生の「21_21」デザインサイトが安藤忠雄展でオープン
http://www.j-cast.com/2007/03/30006524.html
日本人の美意識を建築に 安藤忠雄さんに聞く
http://www.sankei.co.jp/culture/bunka/070309/bnk070309002.htm


「日本は世界のデザイン大国になり得る」

安藤忠雄と三宅一生の共通する思いは、日本が世界のデザイン大国になり得るというところにあるらしい。世界をまたにかけて活躍してきた安藤は、日本人が持っている美への意識と仕事への責任感というものは他の国の人間にはありえないことなのだと言う。彼はこういう話をする。例えば、外国の職人は誰かに管理されないと仕事ができない。一方、日本の職人は、個人個人が自らを管理して仕事をする。この違いの発端は、日本人職人の、自分の為す仕事への誇りにあるのではないか。彼らのデザインするという仕事は、多くの職人の技術と誇りとに支えられていると、そして、それをベースにして初めて彼らのデザインという仕事が世界に発信できるものになるのだと、「職人・デザイナー・世界」という3つのステップが連なったとき、モノが素晴らしいものになるのだと、安藤はそう言う。だから、素晴らしい職人が多くいる日本は、世界のデザイン大国になることができるのだと言う。

「人間は、どこに生まれて、どこで育ったかということから切り離されることはありえない」

安藤の口からこの言葉を聞いたとき、正直言って俺はびっくりした。デザインという仕事(彼の場合は建築という仕事)において、それまでデザイナーの出自が意味を持つなんて考えていなかったからだ。デザインというものは、通常、それの受け手、つまりデザインされたものを観る側の予想と期待を良い意味で裏切ること、そして、それまで存在しなかったコンセプトを形にすることに意味があるのだと思っていた。だから、デザイナーが誰であれ、その受け手が誰であれ、デザインに斬新性があるということに、デザインすることの意味があるのだと思っていた。たしかに、どこの国の人間がデザインするかで、作品の色は違ってくる。けれども、そういう作品のバックグラウンドは、デザインにおいては第二義的なものでしかないと思っていた。安藤の言葉は、出自が第二義的な程度以上の意味を持つことを物語っている。

デザインに対して出自が持つ意味は、元を辿れば、国の風土と人の生活様式に行き着くのではないかと思う。こと建築、インテリア、ファッション、グッズに関して言えば、デザイナーの生まれ育った国の風土と、その国にいる人たちの生活様式とが、デザインに対して直接的間接的に何らかの影響を及ぼしそうだ。

出自は、それが作品そのもののデキに影響するから大事なのか?それとも、風土と生活様式とを文化と呼べば、文化がデザインという舞台で共存し、主張しあえるから大事なのか?
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by yoichikmr | 2007-04-01 07:51 | 日記
2007年 03月 28日

待ちぼうけ

とりあえず28日(日本時間)夜九時の時点で、問い合わせをした4校からは何ら音沙汰なし。さらに、ロンドンにある第1志望の大学(LSE)に至っては、オンライン上の審査状況ページがエラー出まくりという悲惨な状況だ。合格したBUのPh.D.担当の人も、内部情報を聞くメールを送っているのに、全く返事をしてこない。どうやら前述の大学院受験用掲示板を見る限り、この一週間に渡って、各大学で有望合格者の招待パーティ的な催しが繰り広げられているようで、その結果、俺が後回しにされている可能性は大きい。
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by yoichikmr | 2007-03-28 21:08 | 日記
2007年 03月 23日

ボストン 修士卒業

昨晩はひどく冷えたので、ひとりで日本酒を嗜んだ。翌朝、めずらしく早く6時に起きるとボストン大学からEMailが来ていて、次のように書いてあった。
Dear Yoichi,

I am writing to inform you that the BU Economics Department has recommended to the Dean of the Graduate School of Arts and Sciences that you be admitted to our Ph.D. program for Fall 2007.

3月も終わりになってようやく合格通知が届いた瞬間だった。予期しない不採用があれば、予期しない合格もあるものだ。もはや期待も憂いもかすれたのか、特別な感慨がない。ヘミングウェイの『老人と海』の老人のように、ただ淡々と、予定調和の流れに沿うように通知の文面をそのまま受け入れた。だが、そうは言っても合格である。これまで留学を諦めて日本で研究生活をしようと思っていたところに、別の選択肢が加わったのだ。迷いが生じる。しかし、当然ながら財政援助は付いていなかった。はてどうしたものかと煙草を咥えてみる。この大学は数ある大学の中でも学費の高い大学で、奨学金無しで入学するのは痛手が大きい。合格したら合格したで、悩みは尽きない。

午後、大学院の卒業式に参列した。修士号を取得した。
2年間サポートしてくれた親父とお袋よ、ありがとう!
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by yoichikmr | 2007-03-23 23:40 | 日記
2007年 03月 20日

凹みに凹んだ夜

2週間まえに最初の不合格通知が来てから昨日の奨学金不採用通知が来るまで、気分が乗らない毎日だった。昨日の奨学金不採用通知がくれたダメージは相当なもので、昨晩から今朝にかけて、自分の研究能力に対する自信は完膚なきまでに叩きのめされた。けど、かつてSoulTrainのRyuが言っていたように「凹むときに思いっきり凹んだ」ことで、もう上へ上がっていくしかない境地にまで達した。いささか不安定ではありながら、俺が今すべきことへ気持ちが向くようになった。

Povertyに関する先行研究の勉強を始めた。それから、今まで形にせずに放っておいた研究アイデアについても少し考えてみた。The Economistから生まれたアイデアは地に足がついている感覚があるので、やはり雑誌や新聞をチェックすることは欠かせないと思った。
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by yoichikmr | 2007-03-20 23:38 | 日記
2007年 03月 19日

文部科学

今日、M省の手厚い奨学金が不採用になったという連絡が来た。これによって、出願大学からの奨学金を現時点で期待できないことを考えると、もし留学するなら親などからの莫大な財政援助が必要となる。出願済みのIMFの奨学金(手厚い)も残ってはいるけど、採用される可能性は低いと思うから、学費をカバーする術は実質ほぼ絶たれた。無念。

大学合否そのものも未だ良いニュースは届いていない。残り8校の不合格通知が未だ届いていないことが、合格という若干の可能性を期待させるけど、どうなるかは全く分からない。

現状のすべての結果を吟味すると、自分という商品の欠陥だけが頭をかすめる。というのも、こういう結果を予想していなかったという事実が、自己評価と客観評価との開きを如実に物語っているからだ。何より、二つの奨学金審査で最終審査まで進みながら、みすみすチャンスを逃したということに、自分を売り込む力の欠如を思わずにいられない。
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by yoichikmr | 2007-03-19 19:56 | 日記
2007年 03月 16日

3月の近況

[2/28~3/8]
@東京 

[3/13~14]
@高松、松山(道後温泉)、しまなみ街道へ旅行

[Application関係]
なかなか来ないと思っていた通知が東京滞在最終日あたりから届き始めた。
Columbia, Brown, Minnesota, UBritishColumbiaからEMailで不合格、
MarylandからMailで不合格、
5校Rejection
その他は未だ全く通知なし。
Test Magicという掲示板への投稿によると、ほぼすべての大学で合格通知は出始めている。滑り止めとして考えていたGeorgetown, UWashington-St.Louisから未だ合格が出ないところを見ると、これらでも当落ギリギリの可能性がある。その掲示板によると、ほぼすべての大学でWaitlist(補欠)通知が始まっているので、Rolling-base(出願順に審査)でない限り、ハッキリ言って、
全落ち
の可能性ありという予想外の展開。おそらく来週いっぱいが通知のピークなので、それまでに何らかのGood Newsが来ない場合、真剣に善後策を考えないといけないくさい。とりあえずすべての結果が出るまでは、静観するつもり。
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by yoichikmr | 2007-03-16 02:38 | 日記