2007年 04月 10日
どこで読んだのか忘れたけど、最近耳にした興味深い視点を忘れないうちに書き残す。 明治維新後の大規模な、そして平和裡の改革(革命)を行うことができた大きな理由に、その改革(革命)を担った維新の志士たち(cf.西郷、大久保、桂など)が尊皇攘夷派だった雄藩出身であるということがある。薩摩藩は古くから、長州藩も比較的古くから幕府に対して強硬路線、あるいは露骨な敵対路線をとっていたことは有名で、それゆえ、これらの藩内では明治維新よりはるか前から幕府が生み出した「諸制度」を半ば無視してきた。それが、これら諸藩の藩士たちの幕府「諸制度」に対する意識の低さを形作っていたわけで、結果的にそれが維新後の制度変革を容易にしたと言える、 という内容だった。出所がどこだったか全く思い出せない。・・・。たしかに、佐幕藩だった土佐藩からは、維新後の制度変革時の立役者を生んでいないのではないか。板垣退助は体制側というよりも、より市民的立場から自由民権運動をしていたわけだし。逆に、薩摩藩の西郷隆盛と大久保利通は、たしか藩内でも相当低い身分から登用されていたはずだから、このことは薩摩藩が幕府「諸制度」をいかに無視していたかも物語っていると思う。当然、そういう風土の中でよりリベラルな発想を自然に持ち出していたと考えることも乱暴ではない。(賢人の薩摩藩13代藩主・島津斉彬は、幕府に無断で勝手に藩士を海外留学させていなかったか・・・?) とにかく、人がある制度の中に長く居続けると、その制度に対する違和感を持たなくなる上に、制度変革にstake holderとして対抗しそうだ。(それは当然で、彼らは外的環境の制度に合わせて既得権を生み出してきたのだから。)逆に、その制度に対する免疫力を持っている人間は、制度選択・制度設計に柔軟に対応できる様な気がする。 これをサポートするかもしれないのが、日本の過去200年に起こった変革の時期(明治維新と第二次大戦後の復興)を担った主な役者は、既得権を持った老人ではなくて、新進気鋭の若者だったという点だ。
by yoichikmr
| 2007-04-10 21:20
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