Do Something II

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2007年 04月 01日

Design

東京・六本木の防衛庁跡地にできた「東京ミッドタウン」内に、三宅一生と安藤忠雄の合作デザインサイトができたらしい。今朝フジテレビの「ボクらの時代」という番組にふたりが出演していた。

三宅一生の「21_21」デザインサイトが安藤忠雄展でオープン
http://www.j-cast.com/2007/03/30006524.html
日本人の美意識を建築に 安藤忠雄さんに聞く
http://www.sankei.co.jp/culture/bunka/070309/bnk070309002.htm


「日本は世界のデザイン大国になり得る」

安藤忠雄と三宅一生の共通する思いは、日本が世界のデザイン大国になり得るというところにあるらしい。世界をまたにかけて活躍してきた安藤は、日本人が持っている美への意識と仕事への責任感というものは他の国の人間にはありえないことなのだと言う。彼はこういう話をする。例えば、外国の職人は誰かに管理されないと仕事ができない。一方、日本の職人は、個人個人が自らを管理して仕事をする。この違いの発端は、日本人職人の、自分の為す仕事への誇りにあるのではないか。彼らのデザインするという仕事は、多くの職人の技術と誇りとに支えられていると、そして、それをベースにして初めて彼らのデザインという仕事が世界に発信できるものになるのだと、「職人・デザイナー・世界」という3つのステップが連なったとき、モノが素晴らしいものになるのだと、安藤はそう言う。だから、素晴らしい職人が多くいる日本は、世界のデザイン大国になることができるのだと言う。

「人間は、どこに生まれて、どこで育ったかということから切り離されることはありえない」

安藤の口からこの言葉を聞いたとき、正直言って俺はびっくりした。デザインという仕事(彼の場合は建築という仕事)において、それまでデザイナーの出自が意味を持つなんて考えていなかったからだ。デザインというものは、通常、それの受け手、つまりデザインされたものを観る側の予想と期待を良い意味で裏切ること、そして、それまで存在しなかったコンセプトを形にすることに意味があるのだと思っていた。だから、デザイナーが誰であれ、その受け手が誰であれ、デザインに斬新性があるということに、デザインすることの意味があるのだと思っていた。たしかに、どこの国の人間がデザインするかで、作品の色は違ってくる。けれども、そういう作品のバックグラウンドは、デザインにおいては第二義的なものでしかないと思っていた。安藤の言葉は、出自が第二義的な程度以上の意味を持つことを物語っている。

デザインに対して出自が持つ意味は、元を辿れば、国の風土と人の生活様式に行き着くのではないかと思う。こと建築、インテリア、ファッション、グッズに関して言えば、デザイナーの生まれ育った国の風土と、その国にいる人たちの生活様式とが、デザインに対して直接的間接的に何らかの影響を及ぼしそうだ。

出自は、それが作品そのもののデキに影響するから大事なのか?それとも、風土と生活様式とを文化と呼べば、文化がデザインという舞台で共存し、主張しあえるから大事なのか?
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by yoichikmr | 2007-04-01 07:51 | 日記


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