Do Something II

dosmthng.exblog.jp
ブログトップ
2007年 01月 14日

日本の格差社会について

57ヶ月続いたと言われるかつてのいざなぎ景気を超えて、平成の景気は過去最長の景気拡大が続いているとされる。一方でその実感はないと広く指摘され、先ごろまでの景気低迷への危機感が嘘のように論壇には景気に関する議論は消えうせ、「格差社会」に関する議論が増え始めている。雑誌文芸春秋は、「日本の論点」の編集部による「10年後の『格差社会』」と題する論文を掲載している。この論文では、来る10年間に押し寄せるであろう日本経済が抱える11の論点における格差を論じている。11の論点とは、雇用・会社・所得・資産・教育・自治体・治安・対災害・医療・結婚出産・老後である。





これらで論じられる格差の論理は、好循環と悪循環の二つが並存する構造を持っているという点で共通している。好循環の中にいる人、企業、自治体は広い意味での豊かさを享受し続ける一方で、悪循環の中にいる人、企業、自治体は負のスパイラルから抜け出せない。こうした構造が保存され続けることで格差が広がっていくという示唆を出している。

さまざまなところで語られることだが、格差はそれ自体が悪なのではない。格差によって失われる「力の均衡」が社会的な問題となる。例えば、格差によって貧しき者が学べななかったり、起業が困難であったりすることで機会に格差が現れるとき、それが社会的な意味での力の不均衡として現れることになる。力の不均衡は、社会的場面での発言力や影響力という形で社会全体に影響して、最終的には各人、各企業、各自治体に影響する。力のある者が望む社会が達成される一方で、力のない者の意見が無視されるということが問題だ。

こうした問題は格差から生まれる2次的なものであって、格差自体とは区別して語られないといけない。文芸春秋の「日本の論点」編集部による論文は、この点を格差に内在する問題として扱っており、必要以上に危機感を煽っている。その結果、望ましい政策に対する十分な示唆を生むことに失敗している。一方で、同誌に掲載された日本経団連会長の御手洗キャノン会長の論文はこの点を区別して議論しているので、政策的含意があり生産的だ。

問題の本質は機会の平等があるかどうかという点である。持つ者と持たない者があることは社会の本質なのだからそれは問題ではないが、持たない者が持とうとするときにそれを可能にする機会が社会に備わっているかどうかは何よりも重要だ。ここではあえて機会の詳細については語らないことにするが、文芸春秋のような議論では自らが語るような諸悪の根源を摘むことはできないだろうということは述べておきたい。格差は今になって突然現れた社会現象ではない。一億総中流という観念は虚構の中の物語でしかない。焦土の戦後日本にも富める者はいたし貧しい者もいた。国民の大部分が中流でいたときには問題ではなかったのものが、大部分が持つ者と持たない者に二分されそうだから大事な問題だと考えるなら、いずれ観察される格差を前にただ立ちすくむだけになるのではないかと若干危惧する。
[PR]

by yoichikmr | 2007-01-14 01:19 | 記事


<< 動画など      memo; 灰谷健次郎 >>