2007年 01月 13日

memo; 灰谷健次郎

幼少の頃あまり本を読むことの無かった俺が初めてしっかりした小説を読んだのが灰谷健次郎の「太陽の子」だった。今となってはその内容を全く覚えていないが、当時深い感慨と共にこの本を読み終えたことは鮮明に覚えている。今月刊行の文芸春秋で彼のobituaryを発見した。以下に簡単に引用する。
 児童文学作家・灰谷健次郎は、教育生活と放浪の後に、子供たちの成長がテーマの作品を発表して、膨大な数のファンに愛読された。(中略)
 1934年、神戸市生まれ。定時制高校に入り、商店の店員、港湾労働者、印刷見習い工、電気溶接工など、職を転々としながら大阪学芸大学に入学。卒業後は神戸の小学校で教員を続けるかたわら、児童雑誌『きりん』の編集に携わった。72年、突如、朝礼で「先生は辞める」と言って退職。沖縄・アジア放浪の旅に出かける。
 最初の作品を発表した後も、『太陽の子』や『ひとりぼっちの動物園』などを発表して、多くのファンを得た。80年、住居を淡路島の山中に移し、自給自足の生活を始め、83年には神戸市に「太陽の子保育園」を設立している。91年から沖縄の渡嘉敷島に邸宅を建てて移住。(中略)
 97年、写真週刊誌が殺人容疑の少年の顔写真を掲載したことに抗議して、出版社から著作の版権を引き揚げ話題になった。
(2006年11月23日没、食道癌、72歳)
児童教育に捧げた人生だったのだろう。教師をやめたことや自給自足生活をしていたことなどから、彼は極めて自由人だったということが想像される。同時に97年の件が、詳細はおぼろげにしか覚えていないが、彼が意志の人であったことをも想わせる。合掌。
[PR]

by yoichikmr | 2007-01-13 22:57 | 記事


<< 日本の格差社会について      悪い奴 >>