2006年 12月 12日

応用経済学の方法についての私論

私きむらの研究関心は、経済学の分野の中でも応用経済学という分野に属する。他の多くの科学と同様に、経済学にも基礎研究と応用研究とがある。基礎研究とは、学問上の方法論的改善を期するものであったり、概念的深化あるいはパラダイムの根本的転換を図るものだったりする。経済学において、こういう学問は今現在、ゲーム理論であり、行動経済学であり、あるいは神経経済学である。これらは、既存の経済学の考え方そのものに対して疑問を投げかけつつ、新たな考え方を提示しているか、しようとしている点において野心的であり、経済学そのものの発展に対して貢献をしてくれるだろうと期待される。一方の応用経済学というものは、現在の学問的枠組みの中で、現実社会において解決が求められている問題に対して回答を与えることを目的とする。解決が求められる問題というのは多岐に渡り、ここで列挙するには能力的に限界がある。例を挙げれば、経済発展と所得格差とはどういう関係にあるのかという問題や、世界中を豊かにする貿易関税制度とはどのようなものだろうかというような問題がある。そのような広大な学問分野の中で、きむらは応用分野に関心を持っている。





ここからが私論になるのだが、応用分野においては、自分の研究からどのような「メッセージ」を発信するかという点が最重要点だと思う。「メッセージ」とは、自ら提示した解決すべき問題に対してどのような回答を与えるかということに他ならない。例えば、「発展途上国はなぜ発展しないか」という問いを立てたとすれば、それに対してある人は「教育水準が低いからだ」と答えるだろうし、また別の人は「先進国が途上国の発展のチャンスを奪っているからだ」と答えるかもしれない。要するに、何らかの問いに対してどのような回答を与えるかということが応用分野の学者に求められている点だと思うということだ。

答えるべき問いに対して自分がどのような回答を与えるかという点が、研究者の真価が問われるところだと言ったけど、回答とはアイデアのことだ。自ら立てた問題に対して、何が決定的に重要なことなのかを答えるとき、経済学の教科書は何も教えてくれない*。問題に対する回答として、自分が答える回答は自分の現実経済に対する視点の中にしか存在しない。そして、それは経済学の教育を受けたか否かに関係しないところにあると私は思う。「発展途上国はなぜ発展しないか?」という問いに対する回答のアイデアは、あるいは居酒屋の親父によって雄弁に語られるかもしれないし、こうした国々と職務上の関係を持つビジネスマンによって明快に答えられるかもしれない。

応用経済学者のするべきこととは、そのようなアイデアを科学的な推論の上に乗せることにある気がする。科学的な推論の上に立って、はじめてアイデアが学問になるんだと思う。科学的推論とは論理のことだけど、論理の多くは学問的蓄積によってずいぶんと省略可能になっているため、そうした蓄積を知る学者のみがアイデアを学問にできるのだろう。

しかしながら、学者の側が良いアイデアを持つことはあながち簡単ではない。それは、上にも書いたとおり、経済学の教科書には、つまり学問的蓄積にはアイデアが記述されているわけではないからだ。

残念ながら、この小文ではアイデアを生む方法などを語ることは能力的にできない。そこで、教訓として、自身の経験を書き残しておきたい。

これから数回にわたって、この一年間できむらが学んだことを教訓がてら書き綴ってみることにする。その目的はおれ自身の今後の研究生活に活かすこと以外にない。もちろん、経済学を学ぶ人以外にも、ある程度経済学研究の空気を知ってもらえたらと思う。
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*基本的には教科書に答えは載っていないのだけど、経済学が過去に蓄積してきた論理的概念がアイデアの論理をずいぶんとわかりやすくしてくれることは存分にありうる。例えば、比較優位、機会費用、補完性などはその例だろう。
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by yoichikmr | 2006-12-12 01:57 | 記事


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