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2006年 09月 22日

数学者にありがちな論理の誤謬

国家の品格
藤原 正彦 / 新潮社
スコア選択: ★★☆☆☆




この本は、2006年の上半期で最も売れた新書ランキングで上位に入る本だ。書店を覗けば、この本が山積みになっているのに遭遇することも多かっただろうと思う。

さて、この本の持つ意味は、良くも悪くも、帯にある文句「すべての日本人に誇りと自信を与える画期的日本論!」に凝縮されると思う。まず、「誇りと自信を与える」ということはおそらくそうだろうとは思う。なぜなら、藤原は欧米型価値に待ったをかけながら、日本古来のものを再評価しているからである。この本がよく売れるのは、一にも二にもこの点によるんだろう。ただし、それとは別に、彼のロジックは甚だ乱暴であり、狭量だと言わざるを得ないのが残念だ。

論理が生命線の数学者の著者が、論理展開をいい加減にするなんてことがあるだろうか。実際、それはない。あるのは、公理を取捨選択できない数学者の価値判断力の無さではないだろうか。数学者というのは「これだけは疑わない」とみんなで約束する公理系から出発して、ロジックを丁寧に経ることによって自分の主張を作り出すわけだけど、そもそも自分が出発した公理系を見返して疑うことはできないのだろうか。藤原の議論を見ると、それはできなそうだ。

彼は日本文化礼賛を繰り返すが、対立テーゼたる欧米文化について、確固たる評価をしていない。わかりやすく言えば、「日本文化は素晴らしいんだ。世界中で類を見ない優れものなんだ。だから、欧米文化より素晴らしいんだ」となる。こんな論理が説得力を持たないことは小学生でもわかる。

日本文化礼賛をするのはよいが、例えば欧米文化を対立軸に挙げるなら、欧米文化がいったいどういうものであるかということを正確に調べたうえで二つを比べないと駄目ではないだろうか。彼は、はじめから欧米文化は取るに足らないというスタンスで議論をスタートしている。それなら日本文化が良く映るのは当然だ。読者が真に知りたいのは、日本文化と欧米文化の何が違っているのかという点だ。それさえ明らかになれば、彼が言うまでも無く、日本人がとるべき文化は自ずと明らかになるはずだ。

日本文化の素晴らしさ、例えば「情緒」というもの。これは日本の四季を経験し、移ろい易さというものを身体で体験しなければ、理解できない。こういう日本独特な文化は、日本にいるからわかると言える。であれば、欧米にいなければわからない欧米独自の文化があってもおかしくない。藤原はこの可能性をはじめから無視している。自分の知っている領域だけから欧米文化を解釈している。そこに、俺は違和感を感じる。

「すべての日本人に誇りと自信を与える」のはかまわないが、その与え方が問題だと思うのだ。なりふり構わず与えられた誇りと自信など、簡単にほころぶのではないだろうか。日本人にとって真に必要な誇りと自信は、短絡的な文化の比較からは決して生まれない。むしろ、極限まで己自身と己の理想を追求することから、初めて誇りと自信の芽が出てくるのではないだろうか。
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by yoichikmr | 2006-09-22 00:57 | 記事


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