2006年 09月 21日

実は知らない知るべき歴史

あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書
保阪 正康 / 新潮社
スコア選択: ★★★★☆





「太平洋戦争とはいったい何だったのか」、戦後60年の月日が流れたわけだが、未だに我々日本人はこの問いにきちんとした答えを出していないように思える。…中略…戦後60年の間、太平洋戦争はさまざまに語られ、捉えられてきた。しかし私に言わせれば、太平洋戦争を本質的に総体として捉えた発言は全くなかった。「あの戦争とは何であったのか、どうして始まって、どうして負けたのか」----。圧倒的な力の差があるアメリカ相手に戦争するなんて無謀だと、小学生だってわかる歴史的検証さえも十分になされていないのである。…中略…本当に真面目に平和ということを考えるならば、戦争を知らなければ決して語れないだろう。だが、戦争の内実を知ろうとしなかった。日本という国は、あれだけの戦争を体験しながら、戦争を知ることに不勉強で、不熱心。日本社会全体が、戦争という歴史を忘却していくことがひとつの進歩のように思い込んでいるような気さえする。国民的な性格の弱さ、ずるさと言い換えてもいいかもしれない。日本人は戦争を知ることから逃げてきたのだ。…中略…歴史を歴史に返せば、まず単純に「人はどう生きたか」を確認しようじゃないかということに至る。そしてそれらを普遍化し、より緻密に見て問題の本質を見出すこと。その上で「あの戦争は何を意味して、どうして負けたのか、どういう構造の中でどういうことが起こったのか」----、本書の目的は、それらを明確にすることである。

本書の「はじめに」で著者が述べる問題提起である。言うに及ばず、今の時代に太平洋戦争が何であったかを知るには、学校で学ぶ歴史を超えて自分で情報を求めていかなければならない。当時の日本の軍隊の組織はどうなっていたのか、軍人が首相になるとはどういうことなのか、天皇は戦争にどのように関わっていたのか、そういうことを多くの日本人はやはり知らないと思う。もちろん、俺はほとんど知らなかった。特に天皇に関すること、そしてそれから付随するあらゆる構造的な問題、それらは近年になってやっと論壇に上がるようになったくらいだ。今でさえ正確に知ることは難しいのかもしれない。

保阪は、事実を列挙した後、極めて冷静に物事に評価を加えている。「極めて冷静に」とは、意図して客観的にという意味である。太平洋戦争に関して客観的な評価をすることは難しく勇気のいることだから、彼の試みは非常に好意的に受け取れる。戦後の多くの文献が指摘するように、昭和初期(戦前)までは、そして時折現在でも、日本には主観的な言説が中心にあり、個人の価値や日本の大衆レベルで醸造される価値は一方向のベクトルのみしかなく、しかもそれは絶対的な支配力をもっていたのだ。こういう状況下での歴史評価や分析などは全く普遍性を持たないものだから、斜に構えて当たらないといけない。けれども保阪は、その点、非常にデリケートに扱っており、それゆえ、この繊細なテーマでも信頼して読むことができる。

また、彼は、全体を通して、非常に明確に自分の主張を論じている。これは実際に読んでもらえればわかることだが、本文全体を経て「あとがき」で彼が述べる総括は実にわかりやすい。これは、上記のとおり、徹頭徹尾冷静な判断を積んできたことによると思う。
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by yoichikmr | 2006-09-21 22:56 | 記事


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