Do Something II

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2006年 09月 20日

読めば「読む価値なし」だとわかる

憲法九条を世界遺産に
太田 光 中沢 新一 / 集英社
スコア選択: ★☆☆☆☆




今、長文を書いたのに間違えて消してしまった。これ、よくやるけど、ほんとがっくりする。しかたないので、簡潔編でいきます。

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太田・中沢のこの著の主題は題名のとおりなのだが、議論は浅はかだ。憲法9条を真剣に考えようとするなら、彼らの議論だけでは全く不十分だ。

彼らは、日本国憲法は日米合作として奇跡的に今の形になった、両者の思惑が奇跡的に折り合って生まれたんだ、だからいたずらに改正するんじゃなくて、世界遺産にさえしてしまえと、そう言う。170ページという短い本文中で主となる論理はこれだけ。それ以外はアッチ行ったりコッチ来たりの議論。いや、議論というよりただの会話。(対談形式なんで)

日本国憲法を考えるということはもっといろんな問題を含むはずだし、議論をする人はもっと真剣になるべきだと思う。憲法とは、言うまでもなく法治国家にとっての第一の法律なわけで、自然ひとびとの生き方を規定するわけだけど、だからこそ、憲法を考えるということは、自分自身の生き方を考えるということであるし、自分の子孫がどういう生き方をするかということを考えることでもあるのだ。

そういうことを確認したうえでも、まだ考えるべきことがある。それは日本人の精神性というものだ。自分を武装するあらゆる理論や思想を抜き去って、裸一貫になったとき、自分の価値判断の基準となるものは何かということだ。それが精神性というものだとしたとき、日本人の精神性とは何であろうか。日本人は何を善しと考え、どういう人生を素晴らしいと思うのだろうか。憲法を考えるというとき、本当はこういうことを考えるはずだ。

さて、第二次大戦後、日本人の精神を支えたものは日本国憲法だったのではないだろうかと俺は思う。敗戦を機に、それまでのあらゆる精神性-そこにはもちろん宗教も含まれる-が崩壊したとき、日本人はいったい何を頼って、何を心のよりどころにして生きたのだろうか。日本国憲法は、この60年間、ただの法律だったのではなく、日本人の道徳であったし、もっと言えば日本人の真善美を象徴するものであった。われわれは、日本国憲法から派生した法律に体化された思想を、自分の行動判断を秩序付ける基準にしてこなかっただろうか。言い換えれば、憲法や法律に対して、あまりに無批判であったのではないだろうか。無批判の行く末は、思慮なき服従である。日本人は、憲法を生き方の基本基準として、それを疑わなかった。なにゆえか?それは、憲法が宗教的魔力で日本人の精神性を掴んで放さなかったからだ。

実は、日本国憲法ができる以前の歴史を振り返ってみると、この精神性という問題が非常に重要な意味を持つということがわかる。それはさまざまなところに問題の根源、淵源を植えつけているのだが、あまりに抽象的過ぎるがゆえに、本当は問題の本質なんだということが見えにくくなっている。日本国憲法に関しても同じだと思う。だから、この問題を考えない憲法論議は意味がないと思うのだ。百歩譲って日本人の精神性を考えないとするなら、いずれまた同じ問題にぶち当たり、それを考えなくてはならなくなるはずだ。なぜなら、これまで日本の歴史には同じ問題が繰り返し姿を変えて登場しているからだ。
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by yoichikmr | 2006-09-20 23:54 | 記事


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