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2006年 09月 20日

明治維新の見方が変わる!

幕臣たちと技術立国―江川英龍・中島三郎助・榎本武揚が追った夢
佐々木 譲 / 集英社
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この本は、もともと明治維新時の日本の科学技術がいったいどういう状況で、どういう形で日本の科学者が西洋から科学を学んでいたのかということ、さらに、それが次の時代-明治-にどのようにつながっていったのかということを知りたくて買った。

実際のところ、この本の着眼点は、時間軸でいえばもっとずっと前、ペリーが浦賀に来航するより80年近く前から明治維新までである。このおよそ80年間を、3人の日本の科学者の先駆け-江川英龍・中島三郎助・榎本武揚-の人生と重ね合わせながら、同時に日本全体の科学に対する見方の変遷を描いている。

特徴的なのは、この3人はすべて忠孝な幕臣であるという点だ。一般に、明治維新とその後の日本の経済的・政治的発展は維新の志士たちの功績と捉えがちだけれども、実は、明治維新より前から幕府の元で科学技術を研鑽していた彼らの活躍が重要であったということがわかる。

たとえば、江川英龍は伊豆韮山の幕府領地の代官であったが、早い時期から(1800年ころ)西洋砲術、兵法、造船技術などを学び、大砲製造などに必要な反射炉を日本で初めて構想したりした。(実際の日本初は江川の協力を得た肥前藩主・鍋島直正が実現した。)江川は、明治維新で重要な役割を果たす佐久間象山、橋本佐内、桂小五郎(後の木戸孝允)などを韮山の江川塾で育てた。彼は、ペリーが浦賀に来航するより前から、日本の国防には海軍が必要だということを幕府に説き、神戸海軍操練所や長崎海軍伝習所などの幕府の教育機関実現の足場を作った。中島三郎助は、ペリー来航時に黒船に乗り込んで交渉に当たった人物で、それまで遅れていた日本の造船技術向上に尽力した。榎本武揚は、元々幕府の旗本の息子で、長崎海軍伝習所で学び、戊辰戦争では函館五稜郭まで戦いを続けたことはあまりに有名。

この本の強烈なインパクトは、幕府内にも日本の行く末100年200年先を真剣に考えていた人物たちがたくさんいたということを実に明確に紹介している点にある。おそらく、多くの日本人は、俺も含めて、先の3人のうちでは榎本の名前しか知らないであろうし、この時代の幕臣としては勝海舟しか頭に思い浮かばないはずだと思うが、勝が目立ちやすい政治の世界を好んだ一方で、上記3人のように黙々と近代技術を日本に導入していた幕臣もいたのである。

王政復古の大号令が1867年、大日本帝国の建国が1889年、日清戦争・日露戦争が1894年と1904年。この30~40年間で日本は驚くべきスピードで近代化をしていくわけだが、その萌芽は維新前の約80年間の憂国の幕臣の危機管理にあったと言える。
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by yoichikmr | 2006-09-20 22:53 | 記事


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