2005年 11月 13日

Kyoto―京都,自然の時間

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さっき一生懸命文章をここに書いた。それを整理していて誤って「Escキー」を押してしまい,文章が全部消えた。インターネットでどうすれば復活できるか検索した。だけど,その前に試行錯誤していたときにコンピュータに残っていた記憶を吹っ飛ばしてしまったようで,もう復元無理だとわかり気力が一気に失せた。ほんとうは「Ctrlキー+Z」で復活できるらしい。はぁ~。一生懸命京都の文章書いたのに…。
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なんかくやしいからまた書く。
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土曜日12日。朝から京都へ。
四条河原町からバスで南禅寺へ。永観堂の紅葉に感激し,哲学の道で思索に耽り,銀閣寺で懐かしさに浸る。絵に描いたような古都京都での散歩。秋晴れの中,気分はすがすがしかった。

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昼過ぎ,京都大学へ。日独文化研究所主催の公開シンポジウムに行ってきた。
毎年何かのテーマを決めて,専門家が講演とディスカッションをするらしい。
これまで扱ったテーマは,自然,生命,歴史で,今回から数回で「時間」を扱うらしい。これはこれまでの3つのテーマを包摂して深める意図があるらしい。
講演者は京大元理学部長の佐藤文隆さんと京大哲学科教授の伊藤邦武さん。

【以下,内容が内容なので,文章の支離滅裂かつ話が入り乱れていますがご容赦を】

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まず,伊藤さんの話。
カントが時間の有限―無限についてはアンチノミーに陥るから議論は不可能,不毛としたことから議論を始めて,じゃあ哲学としては時間の有限ー無限性についてどんな貢献ができるかっていう話。アンチノミーというのは,ある命題とその逆の命題との両方が同時に否定される状態,具体的に言うと,「時間は有限だ」と「時間は無限だ」の2つの相反する命題が両方とも偽と判断されるという状態,でじゃあいったい何なのさという状態(だったはず)。

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哲学の専門家の話をまじめに聞くのは初めてだったけど,思いのほか論理的に議論してた。手法は論理学,数学の世界で展開されるのと多分同じだと思う。経済学もそういう手法を借りているから身近に感じた。
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次に佐藤さんの話。
彼は相対論,宇宙論,量子力学の専門化らしい。話はアインシュタインの歴史から始まって,大部分その話をしていた。だから,一番面白い話をする時間がほとんどなくなってしまった。という最悪のパターン。熱くなりすぎなんだよアインシュタインで。

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物理学には矢のない力学時間と矢のある統計力学の時間があるらしい。矢というのは「散逸」の方向性らしい。たとえば,お湯は置いておいたら冷める。この流れは逆流できない。そういう状態変化を散逸と呼んで時間変化の方向性という意味で矢というらしい。俺みたいな一般人向けにわかりやすくしてるだけだと思うけど。

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量子力学では,状態と物理量との間に関係をつける際に「観測,測定」が登場するらしい。状態の時間変化は矢のない力学時間に乗っていて,「観測,測定」が入るとそこに矢が発生して統計力学の時間になるらしい。これが量子力学の特徴みたい。たぶん,「観測,測定」という行為が状態を決定するキーファクターのひとつなんだな。この「観測,測定」というのは箱の中で起こる「実験」を第3者たる「私」が見るわけだけど,そこで面白い最近の物理学の課題があって,それは「宇宙」という箱の中で起こる「実験」を観測するのは誰なんじゃというものらしい。

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佐藤さんは観測者のことを「主体」と言っていた。主体が時間の向きを決めるということになるんだろうかね。

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ここで,精神科医の人から「心理的時間」との関連を聞く質問が出た。主体の決める時間の向きといえば主観的な時間のことだろう?っていう質問。それに対する答えは覚えてないけど,この人から出たもうひとつ面白い発言が,「現在」はその瞬間瞬間に感じられるけれども5分前10分前という過去は存在するようには思えないというもの。哲学科教授伊藤さんのこれに対するコメントは説得的だった。「現在」という時間は有限なもので,実際そういう有限な「現在」が無限に並んでいるわけだけど,これは「時間」の無限性を言っているわけじゃなくて,あくまで時間は「現在」という有限なものだけ,という解釈。

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同じ内容に対する元理学部長の佐藤さんのコメントは,そういう解釈の上にある研究領域が「複雑系」なんだろうというものだった(はず)。

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ほかにもいろんな話があったよな~と思う。思い出したら書き加えていく。

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興味は,こういう時間の議論を経済学上で考えたらどういうことが考えられるだろうかということ。経済学では,俺の知る限り,時間についての議論はほぼ全く無い。(ひとが主観的に現在と未来との駆け引きをどう考えているか分析するものはあるけど)。

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フロアから興味深いコメントもあった。京大理学部の航空工学研究室の教授からだった。一般的にいう時間を記述する数字というものは人間の発明した人工物なのであるから,一般的にいう時間も人工物なのだ。この事実の興味深い含意は,時間を議論するということはそれについての共通認識をみんなが持っているから可能なのだということ。つまり,数字や時間という概念と接点の無い他者との時間の議論は不可能だということ。共通認識が議論の出発点に――期せずして――なっているということ。
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by yoichikmr | 2005-11-13 23:48 | 日記


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